奇跡の La かんぱねら ①
2026年09月23日 10:03
奇跡の La かんぱねら
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1. 幼少期 2024.10.1
時は昔、あるところに、ミカという5歳の女の子がいました。
Mikaは、お父さんお母さんと4才年上のお姉さんの4人家族で小さな田舎の村に住んでいました。
幼稚園で、たくさんの友達と遊ぶのが大好きな陽気な子でした。
ある日、お母さんが、「ミカ、オルガン教室に行かない?幼稚園のお友達も何人かいるよ」と打診しました。
オルガン教室とは、村の公民館の音楽室に、小さな電子オルガンが8台並べてあって、そこへ幼児音楽指導の先生がやってきて、小学校1年生(7才)くらいまでの子供たちに、歌やリズム、少しだけオルガンを教えたりする塾です。
彼女の家のすぐ近くに村の公民館があり、Mikaは、幼稚園へ行く時や遊んでいる時に、たびたびオルガンやピアノの音や歌声を聞いていました。
彼女の姉もそこに通った後、今は小学3年生でピアノ教室に進んでいました。
彼女の両親の子供の頃は、家が貧しくて、習い事などさせてもらえませんでしたし、まして家にピアノやオルガンのような楽器はありませんでした。
ですから母は、娘たちに、音楽を習わせてやりたいと思っていましたし、父は、インテリアとして立派なピアノを持つ事にあこがれを感じていました。
Mikaは、同じ幼稚園の友達と遊べる事や、私もいつか姉みたいにピアノを習うようになるかも、という期待で、喜んでお母さんに「私もオルガン教室に行きたい!」とお願いしました。
オルガン教室では、歌うこと、カスタネットやダンスでリズムをとることがほとんどで、オルガンは、その前に座って、同じ音を出す程度で、“弾く”というより、“鍵盤に触れる”程度で、2年間が過ぎました。
そしてMikaが小学1年生になる時、その“子供オルガン教室”は修了し、お友達もMikaもそれぞれに次に進むコースを決めて、新しい事を始めました。男の子はサッカーや野球、女の子は、ピアノやエレクトーン、習字、バレーボールなどを習い始めました。
Mikaは、姉も年上の従妹たちも、みんなピアノが上達しているの見ていて、当然私もピアノを習うんだと思っていたのですが、オルガン教室の先生に、「あなたはピアノ演奏には向いてないわ。エレクトーンの方が向いてるわよ」と言われました。
Mikaにとって人生初の挫折であり、ピアノに対する大きなコンプレックスができたのですが、
強く反発する事もなく、なんとなく、その流れに従いました。
エレクトーンの先生と、オルガンの先生は同一人物の小谷先生でした。
最初のうちは、エレクトーンもオルガンも家にはなかったので、全く練習もせずに、エレクトーンのレッスンにやって来ては話してばかりいるMikaには、小谷先生は、とても手を焼いていました。
小谷先生は、音楽の才能がなくても大きな声で歌う、音痴なMikaの事が大好きでした。
Mikaと同じエレクトーンのコースに進んだみゆきちゃんとちかちゃんは、エレクトーンを事前に買ってもらい、きちんと練習する模範的な生徒で、Mikaは、いつも劣等生でしたが、3人はとても仲良く、それから大人になるまで、エレクトーンを続けることになります。
2025.1.05
お友達のみゆきちゃんや、ちかちゃんは、既にエレクトーンを買ってもらっていたので、家でそれを練習し、エレクトーン教室では、エレクトーンの前に座って曲を弾いていましたが、Mikaは、“子供オルガン教室”のそれと同じ、小さな電子オルガンの前でレッスンを受けるのが常でした。
Mikaの両親は、Mikaは、おしゃべりばかりして、あまり音楽に興味がなく、それを習うことにすぐに飽きてしまうのではないかと思い、彼女にエレクトーンを買い与えることを控えていたのです。
小谷先生は、Mikaの事情を知っていたので、Mikaのレッスンの時は、小さな電子オルガンの前にいっしょに座って、曲を教えてくれました。
Mikaはそれが嬉しくて楽しくて、音譜は分からなくても、目と耳で曲の感じを覚えました。
1年生のMikaは、楽譜は、ト音記号しかわからず、楽譜を読むのが苦痛でした。
それでも、小谷先生がお手本に弾く曲を聴くのは好きでした。
1年間は、家で姉のピアノの前で、小谷先生のマネをして弾いてみて、レッスンの時に、小さな電子オルガンでレッスンを受けるという繰り返しでした。
というのも、その頃、彼女のお姉さんは、ピアノを習うのをやめていました。
お姉さんは、何をやっても上手くこなすのですが、同時にたくさんの事に興味を持つ為、すぐにやめてしまう人で、その頃は彼女はピアノを弾く事はありませんでした。
Mikaは、好きな事は、ヘタでも、のろまでもコツコツ続けるタイプの女の子でしたから、2年生になっても、毎週土曜日の授業が終わった後は、Mikaは自らエレクトーン教室にそそくさと出かけて行っては家でピアノの前で拙い曲を練習していました。
お父さんは、エレクトーンが、電気おもちゃみたいな楽器だと好ましく思っていませんでしたが、お母さんは、どんな事でも続けることが大切だと、お父さんを説得して、ついにMikaが2年生の冬、本物のエレクトーンが我が家にやってきました! けっこう高額な出費です!
Mikaは自分の楽器を買ってもらえた事がとても嬉しくて、まじめに練習を続けました。
日本では音楽教室では、年に何回か、ちょっとしたホールに教室の生徒やその父兄を招いて発表会という形でコンサートがあります。
2025.1.12
Mikaも3年生の夏には初めて発表会に出演してエレクトーンの曲を披露しました。みゆきちゃん、ちかちゃんもそれぞれ練習した曲を披露しました。
3人は同じ小学校でした。
4年生の時、その小学校が創立100周年を迎えて、大きな式典が開催されることになりました。全校生徒500人にも満たない小さな小学校でしたが、市長や生徒の父兄、地域に残る卒業生など、盛大な式典です。
2025.2.16
小学校の校舎は木造の古いままでしたが、秋の式典開催までに、つぶれそうだった古い講堂がホールとして建て替えられる事になりました。
そこで盛大な創立100年記念式典が開催されるのです。
ところが、他の小学校のホールにはグランドピアノがあるのに、彼女達の小さな小学校には小さなオルガンがあるだけでした。
校長先生はその事を気にして、保護者の代表であったMikaの父といっしょに、グランドピアノを購入してもらえるように、市役所に何度か陳情に行きました。しかし、市役所は陳情を受け入れませんでした。
Mikaも友達も、父が校長先生と一緒に市長に陳情に行ったことや、市にはグランドピアノまで揃える予算がないことを、漏れ聞いて知っていましたから、それは仕方がないと思っていました。
長い工事が終わり、式典の開催前に建物が完成し、式典で歌う校歌の練習をするというので、全校生徒が新しく完成したホールに集められました。
体育館として使える広い床と高い天井、正面に立派なステージがある、これまでの田舎くさい小学校の講堂とは見違えるような立派なホール内を、みんな目をキラキラさせて、あちこちを見ていました。
そして、話をしている先生が立つ正面のステージを見ると、左手側には、なんとグランドピアノがあるではありませんか!
それを見ただけでも、みんなとても喜んで興奮していたのですが、さらに、ピアノが得意なSayaka先生が登場し、今までに聞いたこともないような豪華な伴奏をつけて前奏を弾き始めると、みんな顔を見合わせて驚き、大きな声で校歌を歌い始めました。
Mikaにとっては、この時のSayaka先生の演奏が、生まれて初めての芸術的な音楽に触れた瞬間でした。
あの童謡みたいな、シンプルな校歌が、美しい風景や夢のような気持ちの軽さを思い起こさせる音色になったのです。
ピアノっていいな~。私もあんなふうに弾けたらいいな~!と思ってうっとりしていたのです。
2025.3.16
多くの生徒たちが、その瞬間、ピアノの音色と演奏の迫力に感動していましたが、その中で、Mikaのエレクトーン教室の親友である ちかちゃんとみゆきちゃんは、それぞれに「私もすばらしいピアノ曲を弾きたい」と本当に強く思い、そのあと2人は、話し合って、意を決して、小谷先生にピアノのレッスンも受けたいと談判に行きました。
実は、その前に、2人は、Mikaも誘って先生に3人で談判に行こうとして、Mikaにも話を持ち掛けたのです。でも、1年生から3人同時に始めたエレクトーン演奏は、3年間で、Mika1人が、大きく立ち遅れていました。
Mikaは、ずっと先を行く2人のエレクトーン演奏の曲を、何か月も遅れて練習するという状況で、進級テストにも何度も不合格になり、2人とは大きく差がついていたのです。
2人は、Mikaが進級テストに合格できるようにいっしょに特訓をしたり、進級の再挑戦の時には、テスト会場まで付いて来てくれたりしていました。
小谷先生はというと、Mikaを誉めたり𠮟ったりしながら根気強く指導してくれましたので、Mikaは大変ゆっくりと上達し、エレクトーンで軽快な曲を演奏する事に少しずつ魅了されていました。
それでMikaは、ピアノへのつよい憧れはまだあるものの、エレクトーンと同時に習うという器用な事は、自分のような のろまな者には、まだ無理だと、子供ながらに判断し、自分は、エレクトーンのレッスンについていくのがやっとだから、やめとくよ と、2人の友人に言いました。
もうお判りでしょうが、Mikaは決して才能あるタイプではなく、ひょうきん者で楽しみながら何でも続けるのですが、自分自身が評価は低く、遠慮がちな性格が、ここでもまたチャンスを逃してしまうのです。
2025.3.23
2人は毎週土曜日のエレクトーンレッスンの時に、小谷先生にピアノのレッスンも加えてほしいと直訴し、先生が了承したので、5年生の春から、2人は、ピアノの練習も始めました。
2人とも、家にピアノはありませんでしたが、主に小学校で練習していました。時々Mikaの家に遊びに来て練習したりもしていた。
電気の力で軽いタッチで弾くエレクトーンと違って、「ピアノ演奏は鍵盤のタッチが難しい」などと2人が言うのを聞くと、Mikaは、「やっぱり私にはピアノはムリだ。始めなくてよかった」と自分を言い聞かせていました。
でも、エレクトーン練習もしつつ、同時にピアノ演奏も着実に前に進んでいる2人の友人のことを、すごく優秀だと感心しつつも、2人の事がうらやましい限りでした。
日本の小学校では、6年生の卒業式の後、先生や父兄を招いて謝恩会を開催します。その際、6年生の何人かが、何人かのグループで劇を演じたり、踊ったり、笑わせたりのショーをします。
2025.4.27
3人が6年生の後半になると、エレクトーン教室で、Jポップの“卒業”という曲を、3人ともそれぞれにうまく弾けるようになっていました。この曲は3人とも大好きな曲です。
ある日、学校の帰り道、3人で“卒業”を歌っていると、みゆきちゃんが、「私たちの卒業式の謝恩会で、この曲を3人で演奏を披露できたらいいな~」と言い始めました。
「そうだ!それは名案だ!」と、あとの2人も言ったものの、小学校の舞台にはエレクトーンとピアノが1台ずつあるだけでしたので、一瞬、ちょっと考え込んでしまいました。
そして沈黙のあと、ちかちゃんが「Sayaka先生にお願いして、“卒業”の連弾ピアノ曲を作ってもらおう!私とみゆきちゃんがピアノ連弾するから、みかちゃんはエレクトーンを弾きなよ」と提案したのです。
それは何て素敵な発想でしょう! Sayaka先生は、卒業を控えた3人の願いを快諾して、ちょっと難しいけど、“卒業”のとても素敵なピアノ連弾曲を作って、指導してくれました。
そうして、小学校の卒業式の後、3人は胸に卒業祝いのコサージュをつけてもらって、体育館の舞台で、同級生や先生たち、父兄の前で、息ピッタリの演奏をすることができました。
3人のお母さん達も、来場していて、「この子達、まあまあやるじゃん!」とわが子の成長にとっても満足でした。特にMikaの母は、Mikaを励ましてくれた2人の友達に感謝の気持ちでいっぱいで、目には涙をためていました。
3人の演奏を初めて聞く同級生達も先生方も、とてもびっくりして、大きな拍手をしてくれました。
何人かの同級生たちの記憶にも強く残ったようですし、3人にとって、とても良い思い出となりました。 実は、3人は中学からは別々の学校に通う事になっていたのです。
Mikaは中学と高校が一貫のカトリック校へ、みゆきちゃんはとなりの村に引っ越すのでとなり村の中学校へ、ちかちゃんは進学を目指して地元の中学へと進むことになっていました。
・・・・続く
奇跡の La かんぱねら

この物語は、日本でイタリア原産漆喰(しっくい)を輸入・販売する”ラスチコ”サイトの協力を得ております。
・・・・・・・・・・・・💛 copy right: Mika Hirose 💛・・・・・・・・・・・・・・・・・
著作権:廣瀬美佳・・ copy right・・
2026.9.23